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日々のメモです。誰かのお役に立てれば幸いです。

創元SF短編賞アンソロジー『原色の想像力』を読んで

書名:原色の想像力(創元SF短編賞アンソロジー)
編集:大森 望 他

目次

はじめに

2010年12月24日発行から遅れること5年、"第56回 神田古本まつり" にて安く手に入ったので昨年末に読みました。

短編賞選考作品から選んだとはいえ、少なからず編者の意向もあったと考えられ、様々なジャンルの作品が収録されております。
しかしながら、私ならSF初心者の方には無難に『日本SF短篇50 I (日本SF作家クラブ創立50周年記念アンソロジー) 』のシリーズがあるのでそちらをお勧めしますし、しかもこのアンソロジーは往年のSFファンとしては見たようなアイディアが多いので、日本のSFを追っている人向けという感慨を持ちました。

とはいいましても面白く読めまして、自分は下記作品が好きでした。

  • 「ママはユビキタス」亘星恵風 著
  • 「盤上の夜」宮内悠介 著
  • 「ぼくの手のなかでしずかに」松崎有理 著

「ママはユビキタス」亘星恵風 著

初版P.494で大森さんが「SFはストーリーなんて〜」と仰ってましたが自分もそのように思っており、これもそれを良い意味で地で行く、たくさんのアイディアから成り立つハードSFですね。
自分はこのアンソロジーで一番好きでした。別のアンソロジーにもあった「銀河風帆走」(宮西建礼 著)もそうでしたが、海外のハードSFを思わせるような、タイトルからは想像できない骨太な内容でした。

商業的な意味だと考えられますが、この作品に賞が無いのはちょっと理不尽だと思います。

初版 P.257

自分は脳のニューロネットワークのデータ化からの意識のシミュレーション等はできないと考えているのですが、作者さん自身は Twitter で下記のように話されており、確かに作中ではスキャンの技術的内容に細かく触れており、その辺のこだわりから来ているのだなと思いました。

亘星 恵風(@wataboshif)さん | Twitter

グレッグ・イーガンは大好きなのですが、人間をいとも簡単にデータ化してしまっているのは、生きた丸ごとの脳に電極を刺して1つのニューロンの細胞膜を貫いてデータをとる研究で苦しんだ経験があると、納得できないのです。せめてこれぐらいは苦労してほしい。

データ化し時系列にシミュレーションするにしても、触感などのフィードバックはどう考えているのか、脳は成長過程において外部からの刺激が無いとうまく発達できないと考えられていることをどう考えているのか*1(発達過程ではないので、適切な刺激は不要と考えているか)など、自分の中では未消化でした。
あと、瞬間のスキャンデータを取得している訳ではないので、その辺をどう処理しているのか。(揮発性のデータもあると考えれますし。)
短編で説明風にならないように暗示してほしいと言っているわけではなく、自分はタイムマシン的な意味でこのアイディは空想だなと判断しているだけですので、考え方の違いですが。

初版 P.251 「RNAに写し取られてから」

RNAや生化学・生理学に注目しているのは作者の背景を考えると分かりますが、この辺からのディテイルへのこだわりはすごいと思います。
すごく好きな書き方です。

初版 P.259 「言語的意識」

この考え方は分かりやすかったです。
読者に分かるよううまく定義がなされているなあと、作者の力量が発揮されている所だと思いました。

初版 P.275 「船内にいる宇宙人も含まれているに違いないと考えた」

イーガンの "ワンの絨毯" へのオマージュでしょうか。

初版 P.292 「太陽は太陽系外からほとんど見えなくなっている」

"ダイソン球" のアイディアですね。

「盤上の夜」宮内悠介 著

勝手に、森博嗣さんが追い求めている抽象への憧れに近い考えがあるのでは、と思いました。
かく言うのも、盤上の夜 (創元日本SF叢書) を別途読んでいたから、かもしれませんが。
ということで、短編で読むのではなく、宮内悠介さんの一冊の本で読むことをおすすめします。

「ぼくの手のなかでしずかに」松崎有理 著

量子回廊 (年刊日本SF傑作選) (創元SF文庫) で「あがり」も読んでいたのですが、このアンソロジーの中で抜群に小説でした。

選考者の山田さんも別の話で仰ってましたが、SFのアイディアを "虚しさ" などのちょっとした機微な小説らしい主題に転化させることができているところが、安心して読ませるなぁと思いました。

でも、女性との出会いの部分は無理がありますよね。作者さんの照れ、でしょうか。

所感

なんども引き合いに出して申し訳ないですが、「銀河風帆走」もそうなのですが日本でハードSFというと、どうしても過去のアイディアの集合になってしまうところがいつも同じだなと…(自分はすごく好きなのですが)。
とは言いえ、小松左京さんのようにSFを神話や古事記などの文脈で読み取ったりと、日本SF創成期ではオリジナリティがあったはずなので、今はSF成熟期といったところなのでしょうか。
また、新しいアイディアにすぐに群がって刹那的に楽しむというのも文学としてはどうなのかというところもあるので、SFのアイディア出しというところも難しいところではありますが。(ブラックホール量子力学に関してもそうですね。)

そういった意味では、イーガンの「クロックワーク・ロケット 」「白熱光 」、円城塔さんの作品群などは、定理で遊んでいる作品であり、自分のなかではSFのアイディア(円城塔さんはテーマがたまたまSFだっただけな気がしますが)が昇華されているなと、最近楽しく読んでいます。(デーデキントの"数について―連続性と数の本質 " 等に近いのかもしれません。)
上記を踏まえて選考者の方々も仰っていましたが、円城塔さんのような作品が少なかった、というのは自分も意外でした。
もう少し真似する人が多いのかなと思ってましたが、円城塔さんがあのクオリティの作品を続々書けるというのはやはり特別なのだなと思いました。

以上。

*1:Taro Toyoizumi, Hiroyuki Miyamoto, Yoko Yazaki-Sugiyama, Nafiseh Atapour, Takao K. Hensch, and Kenneth D. Miller. "A theory of the transition to critical period plasticity: inhibitioselectivelysuppressesspontaneousactivity", Neuron, 10.1016/j.neuron.2013.07.022