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日々のメモです。誰かのお役に立てれば幸いです。

『極光星群』を読んで


書名  :『極光星群』
責任編集:大森望日下三蔵

感想

 今回のアンソロジーで好きな作品は下記2作品で、それぞれ簡単に感想を書きます。

 ※ネタバレを含みます。

内在天文学円城塔

 「無限に広がる平面は、遥か遠くから眺めてみても点にはならず平面のままだ」(P.267)の記載ではリーマン球面を思い出しニヤリとしてしまう。
「平面」を3次元空間{ (X1, X2, X3) ∈ R^3 } 上の超平面{(X1, X2, 0)∈ R^3 }とし、更に3次元空間の原点0を中心とした単位球面Sを考えて、
S上の(0, 0, 1)を除いた球面上の点に対し、超平面を対応させる。そうすると「無限に広がる平面」と(0, 0, 1)を、単位球面Sの一点で表せる。
この単位球を無限に小さくとると単位球の頂点(0, 0, X3→0)が効いてきて無理なので、しぶしぶ「遥か遠くから眺めて」満足しましょうか。
しかし、どちらにしても「遥か遠くから眺め」る視点というものを想定しているということから、度々言及される「月面都市に囲まれている瞳孔が、
僕らを静かに見下ろしている」(P.281)と不思議と符合しているようにも思える。

 「鯨とかイルカとか、それともイカとか地衣類とか、南極オキアミとか」(P.277)では、都留泰作著「ナチュン」におけるゼルダ
豚意識上部構造移行実験が思い出される。意識の質(quality)が理論として存在するものか分かりませんし、意識・知識の集合体がある一定量(quantity)を
超えた際に意識の飛躍が起こることを想定していたのが「ナチュン」で、それらを肯定的に考えると「意識の質(quality)×集合体の量(quantity)」という意味で
南極オキアミが人間を「認知的ニッチ」から追い出したというのも整合性がとれると考えられます。
(思い返すと、五十嵐大介著「海獣の子供」でも、南極オキアミが地球上で最も量的に多い生き物・成功した生き物であると紹介されていました。)

 「盲目の時計職人」(P.284)はリチャード・ドーキンスを踏襲したものですが、時間も素粒子の自己組織化(ネットワーク化)と
自然淘汰(多世界淘汰?)から生じたとすると時計職人というよりは、私は「我々の盲目の公理主義者」等、そのようなイメージをいつも想定してしまいます。

 「そんなことはないよ。わたしたちはきっと理解ができる」(P.285)。この軽やかな意思、円城塔さん、
いつもありがとうございます。

銀河風帆走(宮西建礼)

 「銀河系に属する4千億の恒星全ては力学的エネルギーを失い、巨大な螺旋を描きながら銀河核へと移動を始めていた」(P.431)
これはスティーブン・バクスター著「プランク・ゼロ」にも登場するフォティーノ・バードが原因ですね。しかしながら巷で言うクリーン
エネルギーというのもつまりは善かれ悪しかれ熱力学第二法則に則っているだけで、不可逆的なエネルギー・情報の散逸を進めてい
るだけであり、そういった意味では、我々が熱力学第二法則の本当の意味を理解した暁には、本当の生産的営みというものを定義で
きることを期待します。

 小学校低学年の頃、NHKの「Escape from Jupiter」が好きであった者としては、宇宙論相対性理論に基づく記載が多く、とても
楽しく読むことができた一編です。書き方・内容は教科書的記載が多く、イーガンのサイバーパンク要素を削ぎ落したようでもあり、
大森望さんや円城塔さんが言及した通り、確かにイーガン以降のクラッシックという表現は言い得て妙でもあります。
想像をかきたてる壮大な内容、益々のご活躍、心より期待しております。


以上。