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heyheytower

日々のメモです。誰かのお役に立てれば幸いです。

『日本SF短編 volume V』を読んで


書名:『日本SF短編 volume V』
編者:日本SF作家クラブ

感想

SFとしては飛浩隆「自生の夢」(NOVA1でも読んでいましたが)、純文学としては瀬名秀明きみに読む物語」が素晴らしかったです。
以下ネタバレがありますので、ご注意ください。

飛浩隆「自生の夢」

作者も言及していることからも、水見稜「マインド・イーター」の「野生の夢」からの題名。
http://d.hatena.ne.jp/TOBI/20090808

文字禍(忌字禍)、間宮潤堂とアリス・ウォンの関係、白鯨、についての考察が書いてあり、参考にさせていただきました。
http://d.hatena.ne.jp/KASUKA/20101010/1286725552


P.307

わたしのジャケットが野暮ったい千鳥格子であること、バックと靴がちぐはぐであること

羊たちの沈黙」のクラリススターリングもまた、千鳥格子のジャケットに、高価なバックに安物の靴を、着合わせていました。

P.308

さらに進むと背後でガラガラと閉まる音がした。通路の左手に鉄格子をはめた独房が並んでいるがすべて空室だ。途中に、パイプ椅子がぽつんと一脚置いてある。その椅子が向いている方に間宮潤堂の監房がある。

レクター博士の収容されている監房と舞台装置は同じですが、レクター博士の隣にはMiggsがいましたね。

p.311

匂いがしないな、といったのだ

クラリススターリングがつけていた香水はニナリッチのレールデュタンでした。

P.317

ありがとう。グールドではないね

アニメ版「時をかける少女」でも「繰り返される世界」の連想として、使われていたゴルトベルク変奏曲です。
ここでは間宮潤堂の検索が並列に実行されていること、も暗喩されていると考えられます。

P.323

<ぼく>は映画を見ている

P.333「#手紙」もそうですし、「ミツバチのささやき」が下敷きだったのですね。

P.340

岩塊状の知的生命体に〜略〜、海中から現れた怪物

「マインド・イーター」と「白鯨」のイメージが、Godelから紡ぎだされた結果と考えられる。

P.351

私は死体(ルビ:コーパス)の寄せあつめか

結局、自己同一性とは言葉(ルビ:コーパス)を1つの部分としてまとめられた、寄せあつめられたものに過ぎない。
自分とは、常に無意識上で自分自身にクエリを投げ、レスポンスを得てそれが自分の選択・嗜好であると思わせられている何かに過ぎない。(加えて自分は唯一であると思わされている)
上記を加味すると、P.349「第二の自然」というのは、Cassyが協同することによって生まれた"自己言及器官"であり、本来的な脳の働きのこと(現象)をGEB上で走っている「第二の自然」と言っているに過ぎない。

P.365

微小な平面六角形や切頂八面体が生まれていた。蜂の巣構造だ。

周をできるだけ短くして二次元空間充填を行う場合は平面六角形、
表面積をできるだけ小さくして同一図形を用いて三次元空間充填を行う場合は切頂八面体が最適です。
同じ体積の図形による3次元空間充填という条件では、ウィア・フェラン構造*1というものがあるにも関わらずこちらを選ばなかったのは、アリスのために準備された計算領域へ、GEBから間宮潤堂を送るという仕様からの要請でしょうか。
また単一図形であればここで言う「連想結合」を行う際も組み換えなどの融通が効くと思われますし、作中ではこの構造が"海"のようにも表現されているので適当かと考えられます。
(個人的にも、ゾーン多面体を使ってもらった方が気持ち良いです。)

※前回のエントリ『生命科学の新しい潮流 理論生物学』を読んで - heyheytowerの書籍にある細胞シミューレションの記事でも
 細胞における二次元・三次元空間充填の最適化が焦点になっており、小説を読んだ時に引っかかったわけです。

P.368

文字禍の本質。人間が、じぶんたちの書き物の中に埋め込んでいながら、ついにそれと気づけなかったものがたくさんあるの。

P.363

人類が長い間知りたいと熱望し、〜略〜それは人間の著作物にとってあまりにも「強い」。

これはユングの"集合的無意識"に近いものとも考えられるが、この本質は"語り得ぬもの"につき当然GEBにも扱えず、"強度"だけが存在し(このためアリス・ウォンがあてられてしまった)、触れるものを変容させてしまう。
(作品の変容の形が違うことも、作品毎にその受け止め方が違うからと考えられ、例外として処理できるか、nullで埋めてしまうか(石化?)、別の意味として変換してしまう等があるのではないかと推測する)

P.371

間宮さんは、小さな<忌字禍>だった。

アリス・ウォンは、<詩人>だった。"語り得ぬもの"に近づき、言葉にする者であったが故に、忌字禍の最も近くにいた。
その点、間宮潤堂は彼自身が忌字禍であり、やはり触れるものを変容させてしまう。
そういった事実からも、忌字禍が間宮潤堂を読みたかった理由が分かります。
忌字禍も間宮潤堂も、クエリー(普通の人にとっては侵襲的かつ破壊的接触)に対するレスポンスを渇望し、テッド・チャンの「理解」ではその手法を逆手にとったものだといえます。
最後の部分では、忌字禍の石(アリス・ウォンの著作物)から読み出されたアリス・ウォンは詩人であるから間宮潤堂を観察することができ、間宮潤堂と人間らしい会話を行なっています。
それまでCassyと行なっていた会話とは意味が異なっており、間宮潤堂はやっと邂逅し救われたのではないでしょうか。

瀬名秀明きみに読む物語

良い文学は意味読み取りの多様性を許容している。
私はこの短編の文章を感傷的、穿けば自傷的な文章と感じました。
自分の過去への感傷、未来への寂びしさ(寂び)、人の行く末に対する悲しさ、文学への少しの期待と困難さが、ない交ぜになった気持ちになりました。
とても大切な短編の一つになりました。
ありがとうございます。


以上。